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2021.9.29

この町がすき。金谷で奮闘中の波乱万丈girlに迫る

オレンジ色の夕日と波の音の調和が心地よく胸に刺さります。ふと海の向こうに視線をずらすと、ゆら~り、ゆら~りと、大きなフェリーが港を後にしました。なんとも独特な潮の香りがする港町、富津市金谷。この町は鋸山北部の麓に位置し、東京湾フェリーが金谷港と久里浜港を結びます。観光地としても名高い金谷の町ですが、この町で人生に仕事に大奮闘している女性(girlの方が響きがいいかも?)の存在を知りました。

その名もひとみさん(27)。
このエリアでは近年少子高齢化がどんどん進み、若者の存在はレアとも呼ばれていますので、ひとみさんも例外でなくレアな存在であることには違いありません。なんとなんと彼女はこの地で、飲食店を一人で(!)経営しているとのこと。一体どんな方なのでしょうか?

「きやっしぇーよ、房総」、今回はライターのMaocury&きこりんで金谷の町で奮闘している、ひとりのgirlに密着取材しました。二人の目線から、ひとみさんについて、精一杯お届けします。(目の前が海!という最高のロケーションでお話を伺いました!)

ひとみさんってどんな人?金谷との出会い、そして模索し続けた20代前半

ひとみさんは、もともと金谷のご出身なんですか?

いえ、東京生まれの東京&横浜育ちです。都会の生活がかなり体に染みついているかも…笑。祖父母の家が金谷にあって、幼少のころから金谷に毎年遊びに来てたのがこの町との出会いです。子供のころから通ううちに、いつしかこの町に「住みたい」と直感で思うように。特に中学生くらいの時からは、「いつか絶対にこの町に住むんだ!」と強い決心も固めていました。

ただ、自分の中では「自立してから金谷に住もう」と決めていたんです。だから高校卒業後すぐにこちらに引っ越してくることはしませんでした。なんとなくですが、私は集団生活が妙に苦手で…。そんなこともあって、誰も知らない場所に飛び込んでみようと思って、高校卒業後はオーストラリアで1年間過ごしました。この経験がおそらく後の自己形成に繋がっていると思うのですが、「みんなと同じように」である必要は必ずしもないんだな…と強く思った記憶があります。

突然海外だなんて、凄い勇気ですね。もともと海外に興味があったとか…?

海外に興味があると言うよりかは、やはり誰も知り合いがいない場所に飛び込みたいという気持ちが当時は強かったです。英語が得意なわけでもなく、一度きりの人生、いろんな経験を積みたいと思って起した行動の一つです。

帰国後は、ネイルの専門学校に入学しました。何か一つ技術を身につけておきたいという想いから故にその選択をしました。ただ…

思い描いていた学生生活とはちょっと違って。高校卒業後の学生生活って、よくも悪くも「遊びたい」という人が少なからずいるんですよね。私はそうではなかったんです。とにかく何か手に職をつけて自立への道を歩みたかった。だから、ちょっとでも自立への道に向かってストレートに歩んでいない時間を感じてしまうと、「この時間は無駄なのではないか…」と考えるようになってしまったんです。正直辞めたいとも思いました。でも辞めてしまうと入学金や授業料は戻ってきません。そこで学校に相談して、退学せずに技術を学べる道を模索したところ、学校に在籍しながらも首都圏のネイルサロンで働き腕を磨くという方法を示していただき、その選択をしました。結果的にはきちんと学校に通ったのは3ヶ月弱。それでももがき続けることで、ネイリストとしての道は開けることになりました。

ネイリストとして、一歩を踏み出したんですね。その後どれくらい続けたんですか?

実はお世話になったネイルサロンは、約1年半くらいで辞めてしまったんです。金谷で暮らしたいという強い想いがずっとありましたから。とにかく自立しようと思ってから金谷に来ようと決めていたので、少しでも手に職をつけた状態で移住というステップは、少なくとも踏めたんじゃないかなって思っています。

金谷に来てからはどんなことを?

ちょうど道の駅保田小学校がオープン間近で、そこに入る予定のGONZO(金谷の町のピザ屋さん。道の駅保田小学校では2015年1月に2号店がオープンした)で働かないかという話をいただいたんです。実際に勤務できるのは2014年12月からということだったので、ネイルサロンを辞めてから数カ月は箱根でリゾートバイトをし、そして晴れて12月、金谷に移住をしてきました。住まいは祖父母の家があったのでそこに住まわせていただきながら、翌年の8月までGONZOで働きました。

金谷で仕事を見つけて、念願の移住を果たし、軌道にのってきたんですね。

実は、自分の中ではそうではなかったんです。バイトだけで生きていくのは、やっぱり良くないかなって。確かにGONZOでの仕事は後の人生において本当に経験しておいて良かったことばかりですし、周りの方々にも恵まれていたと感じます。

でも、ガツンと一度資金を貯めたいと思うようになったので、一発奮起して君津にネイルの自宅サロンを開くことにしました。とは言え初めからネイルサロンの収入だけで資金を貯めるのは難しいと判断し、はじめの1年半はネイルサロンとしての稼働は夜2件の予約のみとし、他の時間はコンビニの夜勤、木更津での事務バイト、お風呂掃除のバイト等と両立していました。
だんだんとコンスタントに予約が埋まるようになってきたので、途中でバイトは減らしてネイルサロンの稼働時間を長くしていき、とにかくあの時身につけた技術で勝負を続けていました。自宅サロンでの仕事を始めて、気づいたら3年が経過していました。
そこでまた悩み始めたんです。笑 金谷に住みたかったのに、気づいたら金谷に住んでないじゃん、自分って。そんな悩みを抱えていたら、祖母の繋がりで金谷に良い空き家が出たという情報をキャッチし、なんと家を買ってしまいました。24歳の時です。その時はまだ君津にサロンを借りていたので、金谷から君津のサロンへ毎日通勤をするようになりました。通勤という方法を取り、そこから1年半ネイリストとしての仕事を続けました。

毎日の通勤、結構大変だったんじゃないですか?

実は、仕事が夜遅くまでになることも多く、金谷の家には寝に帰ってきているだけ状態でもあったんです。せっかく金谷に住んでいるのに、なんだか心から満足できていないのではないか…とも正直思っていました。

そんなことを思いながら、ある時見たニュースで有名企業の社長が放った言葉を聞いて、はっとしました。コロナ禍に入り始めた2020年2月のことです。

「この状況はしばらく長引く」

そうか…今までやってきたことを仕事面でも生活面でも、一気に変えていかないといけないかもしれない。そんな風に直感で思いました。

当時夫と暮らしていましたが、その夫は南房総エリアで飲食に携わる仕事をしていたんです。そこでしっかりとした生活を二人でしたくて、これは金谷で一緒に飲食店をやるしかない…と。私はもともと釣りや野菜作りなどの時給自足が好きだったし、夫は料理が得意だし。二人で力を合わせて、二人の仕事と生活の基盤になるような場所を、この金谷の町でつくろう!と決心しました。



決心したのが2020年3月のこと。決心してすぐ、きちんとネイルサロンのお客様に告知をしたうえで4月にサロンを閉店し、新たなスタートを切る為に進み始めました。

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この記事のライター

Maocury(まおきゅりい)
Maocury(まおきゅりい)

安房地方(千葉県館山市)出身。大学進学とともに千葉市へ北上。卒業後は千葉市と安房地方の二拠点生活(デュアルライフ)をはじめ、今でも継続中。安房地方ではダブルダッチを通したストリートパフォーマンスの普及に力を入れ、現在千葉県ダブルダッチ協会の理事も務める。心の底から南房総を愛しており、生粋の房州人として地元のお祭りも参加。

2019年12月に安房にUターン。WEBライター、薬膳コーディネーターとしての活動など、「一度きりの人生を全力で」いろんなことにチャレンジ中。